ヤマハ90twinの歴史

ヤマハの90twinの歴史は、「AT−90」から始まります。

「AT−90」は1966年に実用車として発売されたが高回転型のエンジンでレーサーとしても活躍した。
36.5×43のボアストロークから、8.2馬力を8,000回転で発生した。
フレームは「YG−1」を基本にしたプレスバックボーンタイプで、剛性も充分だった。(現行車と比べるのは酷ですよ)

1968年に灯火類を大型化するマイナーチェンジを受け、同年にはセルスターター付きの「AT−90D」が発売されました。

1969年に「HS−1」に発展し、スポーツ車としてヒットした。
「HS−1」はバランスも良く、ブリッジ付きのアップハンドルで悪路にも強く、スクランブラータイプに改造されたものも多かった。
実際に車両を入手すると、3割位はブロックタイヤをつけていた。

1971年に「HX−90」になり、上位機種の「AX−125」と共通のデザインになったが、のほうがフューエルタンクはスリムで軽快だったと思います。

「AX−125」でフロントブレーキがダブルカムに変更されましたが、「HX−90」はシングルカムのままでした。

でもこの後は125と同様に単気筒になり、水冷化されることも消えていってしまい現在では90ccスポーツは存在していない。

気筒あたり45cc小さなピストンはもう世の中に出ることはないでしょう。

90ccに関しては、セル付きの「AT−90」以外、保管してありますので少しずつ紹介していきます。